他人と比べ過ぎると…【悲しくも役立つ逸話です】
こんにちは。ハレバレです。
このブログでは、晴れ晴れとした生活を送る上で、『ネガティブ思考や執着にとらわれないように〜』というメッセージを送ってきました。
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今日は『他人に執着しすぎると、自分にとってマイナスになってしまう』ことを、考えさせられる逸話について、ご紹介します。
ちょっと暗い話ですが、個人的には、とても良い教訓として役立っています。
あるパン屋さんの逸話です。
『もっと自由に生きるための「禅」入門』(ひろ さちや,三笠書房、2010)で、著者がユダヤ人のジョークとして紹介していた、パン屋さんの逸話です。
正直、ジョークっぽさが全然分からないのですが……むしろ、教訓的なお話です。σ(^_^;)
幸せになるチャンスに
道をはさんで、両側にパン屋がありました。
便宜上、「しっとり屋さん」と「ふっくら屋さん」とします。
ある日、しっとり屋さんに、神さまがやってきて、次のように告げられます。
「しっとり屋よ、何か望みを叶えてやろう」
しっとり屋さんは、とっても喜びました。
お店の繁盛など、願いはいくらでもあったのでしょう。
早速、望みを言おうとした時です…… 神さまは、こう付け加えました。
「ただし、お前の望みを叶えると同時に、ふっくら屋にはその2倍を叶えることになっている。お前が1億を願えば、お前は1億、ふっくら屋は2億を得ることになる」
選んだ答えは?
しっとり屋さんは、その言葉を聞いて、困ってしまいます。
おそらく、しっとり屋さんは、商売敵のふっくら屋さんを妬み、絶対に負けたくなかったのでしょう。
そして、こう質問します。
「……じゃあ、私が不幸になれば、ふっくら屋は2倍不幸になるんですね?」
神さまが、頷くのを確認し、ふっくら屋さんは願いを決めました。
さて?どんな望みを叶えてもらったと思いますか??
(あんまり、いい結果は予想しませんよね……)
なんとですね……
しっとり屋さんは、自分の片眼を失うことを願ったのです。(>_<)
得られる教訓
ちょっと背筋が凍るというか、正直あまり心地よい話ではありませんよね… f^_^;
晴れ晴れを謳うブログで、『この話はどうなの?』と、ちょっぴり躊躇もあったのですが……失礼しました。(^人^)
でも、でもですね、『きっと学ぶところも大きい!』と思うのです。
この逸話から私が得た教訓は次の2点です。
- 他人に執着しすぎると、自分のことが見えなくなる。
- その結果、自分の成長や幸せを、阻害してしまうリスクが大きい。
もし、しっとり屋さんが、『ふっくら屋さんが、どうなろうと関係ない』『人は人、自分は自分』という気持ちになれていたら、なんの問題もなく、自分自身が幸せになる願いを叶えられたと思います。
でも、「自分以上にふっくら屋さんが幸せになるのが許せない」「ふっくら屋さんを不幸にしたい」と、他人に執着してしまったあまり……せっかくの大チャンスに、自分の幸せを顧みない決定をしてしまったのです。
ハレバレが思うこと
私は、他人と自分を結構比べます。他人と比べることで、自分を再発見できるからです。特に「素敵だな〜」と思える人と自分を比べることで、自分にも活かせそうなところを探したり、モチベーションアップにもつながります。
チームで仕事をする時に、『あの人はここが凄い』『この人はこれが上手』『私は多分ここが秀でている』とか、勝手に想像して、いかにチーム全体のモチベーションとかパフォーマンスを上げるか?を考えるのが大好きです。=(^.^)=
いわゆるライバル的な発想も嫌いじゃないです。
しかし、これらはあくまで、『他人は他人、自分は自分と。お互いの違いを尊重しているからこその考え方』だと思っています。
SMAPの「世界で一つだけの花」にオンリーワンという表現がありますよね?
これも決して、人と比べること自体を否定しているのではなくて、「尊重し合おうね!」ということだと、勝手に解釈しています。
なので、やっぱり、気をつけないといけないのは、ネガティブな思考で他人に執着してしまいそうな時です。
例えば「過度に他人に気を伺ってしまう」「他人の評価に翻弄されてしまう」「何か理由や原因を他人のせいにしてしまう」「人と優劣を比べて、安心したり、落ち込んだりする」など。
そんな時は、『他人を意識するあまり、自分の自身の心や体を蔑ろにしていないかな?』『自分のとった行動は、本当に自分の人生や生活にとって、+になっているかな?』と、自分自身を大事にして眺めてみましょう。
ふと、冷静になるために、今日ご紹介した逸話が役に立てば幸いです。
私の人生は私のもの、あなたの人生はあなただけのものですから…ね。(*^^*)
それでは、今日も一日晴れ晴れと過ごしましょう。(#^.^#)